お知らせ&コラム

2018.1.6 都筑のこと

都筑のむかし~失われたものの記録 望郷~

自宅と実家でたくさん親せきを迎え、結局、都筑区から一歩も出ないお正月でした。今年は昨日が仕事始めでしたが、訪問先はほとんど都筑区内。今年もずっとここの空気を吸って生活していくことになりそうです。

といっても私はいわゆる地元っ子ではありません。昭和の終わりごろ、中学生の時に東京から港北ニュータウンに引っ越してきた、言わばニュータウンの第一世代です。

だだっぴろい、途中までしかできていない道路、まだ家の建っていない造成地が広がり、富士山と赤白煙突(今は青白に変わりました)がどこからでも見えた30年前の港北ニュータウン。東京の下町から引っ越してきた私たち家族は、開放感と心細さを感じながら生活を始めたことを思い出します。

ブルーライン、グリーンラインも開通し、当時と比べると各段に便利になったこの街の昔を子どもに語りたくなることもしばしば。ですが、私ごときが昔を語るのは50年早いということに気づきました・・・というのも、お正月に読んだ今年の一冊目の本が、鮮やかにこの都筑の昔について綴ったものだったからです。

その本とは「失われたものの記録 望郷」。著者は男全冨雄(おまたとみお)さん。
昭和3年に都筑郡中川村山田二区、現在の都筑区北山田で生まれた正真正銘、土地の長老です。

ちなみにこの地域はすでに7世紀から「武蔵国都筑郡」とよばれていたそうですが、1939(昭14)年に横浜市に合併され歴史ある都筑の名は消えました。そして1994(平6)年の都筑区誕生により半世紀の時を経て復活したことになります。

この本では、農家の長男としての子ども時代の思い出、戦時中、戦後、ニュータウン開発期の思い出が語られています。北山田を中心に、中川、江田、綱島などなじみの地名が随所に出てきて、興味を引かれます。

私も毎日のように車で走っている日吉元石川線(246の新石川の交差点と北山田、都筑IC方面を結んでいる道路ですね)には田んぼが広がり、その真ん中にきれいな小川が流れ、洗濯や野菜の洗い場としても使われていたそうです。驚いたことに、初夏には「邪魔になるくらい」たくさんの蛍がいたそうです。綱島と江田の間には乗合馬車がパカパカ行き来していたとか。今は東急バスが走っていますね。

のどかな風景だけでなく、小学生でも家事や農作業の手伝いはあたりまえ、毎日3~4キロの道のりを歩いて学校へ通い、農繁期には赤ん坊を背負って登校する子もいたなど、厳しい日常生活についても語られています。

しかし厳しくも豊かな農村の生活は、戦争によって大きな変化にさらされます。若者は次々と出征、中川地区全体で二百数十名の戦死者があり、横浜大空襲の後には北山田も空襲に遭ったことにも驚かされました。

さらに、農村の人々の人生を激変させたのがニュータウンの開発。築三百年以上という家屋を解体、墓を移し、庭の大きな柿の木を伐り、生活を支えてくれた井戸を埋め、そして生業であった農業との別れ。「住みよい街作りとは、過酷な犠牲により生まれるものだと感じた」という一文に著者の苦しい心内がにじみ出ていて、読んでいて胸が痛くなるようでした。

戦前、戦中、戦後、高度成長、その後のオイルショックやバブル崩壊。普通の人の生活を翻弄してきた時の流れをひとところからじっと観察してきた、貴重な記録を読ませていただきました。年の初めに、日本という国の来し方を深く考えさせられました。

文章もさることながら、緻密かつ素朴、眺めていてどこかほっとするような素敵な絵にも魅せられました。都筑図書館でも借りることができるようです。港北ニュータウンに住む多くの人に読んでもらいたい一冊です。